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戦後補償問題

賠償と補償

 賠償(Reparations)とは、敗戦国が戦勝国に対して、戦争で発生した被害・損害・損失についてその対価を支払うことを指す。戦争後の国家間で行われる賠償はもともと歴史的には「償金」とよばれ懲罰的な意味合いがあったという[*]。 
 補償(Compensation)とは、戦争行為によって民間人が被った被害を回復するために国家が行う損害賠償である。 
 国家間で行われる賠償と、個人の請求権としての補償が区別されたのは、第一次世界大戦後のベルサイユ条約で補償の個別的請求権がはじめて明文化されて以来である。

 戦争に要した費用および戦争の直接の結果として生じた損害の一部ないし全部を償うため、一国(通常戦敗国)が他国(通常戦勝国)にたいしてなす損害賠償をいう。19 世紀の初頭以降賠償にかんする規定が講和条約中にふくまれることは一般的方式となったが、すでにそれ以前から占領軍または戦勝国による、被占領地域または戦敗国からの徴発や強制取立てはひろくなされていた。それにもかかわらず賠償を正当化すべき法的原理、金銭賠償の評価、さらには多量な金額の国際的移動に適応すべき国際貿易および財政の発展などが樹立せられる19 世紀初頭までは、賠償は一般的方式として確立されていなかった。三十年戦争後のウェストファリア条約(1648)は近代的賠償方式発生の端緒となったといいうるが、総じて17~18 世紀を支配したマーカンティリズムの理念とそれに随伴した近代的国民国家の形成および常備軍の成長とが近代的賠償概念の母体であった。それを支える法的原理は戦禍にたいする代償としての正義であるとみなされていたのである。しかしながら19世紀における賠償方式の発展にともなってその論理も次第に変化し、戦勝国の戦敗国に課する懲罰的な要素が濃厚となった。普仏戦争後のフランクフルト条約(1871)は、このような要素を明白に導入した条約として名高い。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約の作成にあたって「同盟および連合諸国」の政治家が従来のindemnity(区別して邦訳すれば償金)なる語に代えてreparation(賠償)の語を初めてもちいたのは、懲罰という印象の払拭にその意図があった。けれども実体的にindemnity とreparation とのあいだにその差異はないといえる。 
(「賠償」『政治学辞典』(1954)平凡社)

 

GHQの占領政策と日本の賠償問題

 アジア太平洋戦争で敗れた日本は、戦勝国である連合国に対して賠償を行う義務が生じた。 
 日本が受諾した「ポツダム宣言」(1945年8月14日)では、連合国の賠償の取立てを可能にする程度の日本の産業の維持が認められている[*]。 

十一 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ 
(ポツダム宣言)

 またGHQの「初期対日基本指令」(1945年11月)でも、日本国民にとって最低限必要な非軍事産業と占領軍への補給に必要なもの以外については、すべて連合軍に引き渡すよう示された[*]。

四 賠償及返還 
 賠償 
 日本国ノ侵略ニ対スル賠償方法ハ左ノ如シ 
 (イ) 日本国ノ保有スベキ領域外ニ在ル日本国財産ヲ関係聨合国当局ノ決定ニ従ヒ引渡スコト 
 (ロ) 平和的日本経済又ハ占領軍ニ対スル補給ノ為必要ナラザル物資又ハ現存資本設備及施設ヲ引渡スコト 
賠償勘定ニ於テ又ハ返還トシテ輸出方指令セラレタルモノノ外荷受国ガ其ノ見返リトシテ必要ナル輸入品ノ提供ニ同意シ又ハ外国為替ニ依ル支払ニ同意スル場合ニノミ輸出ヲ許容ス日本国ノ非軍事化計画ト矛盾シ又ハ之ニ支障ヲ来スガ如キ種類ノ賠償ヲ強要スルコトナカルベシ 
返還 
一切ノ識別シ得ル掠奪財産ハ之ヲ完全且速ニ返還スルヲ要ス

 1945年10月に発表されたポーレー「米国の対日賠償政策(予備的声明)」も日本にかなり厳しいものとなっている。

ポーレー「米国の対日賠償政策(予備的声明)」(1945年10月31日) 
「東アジア全域は日本が始めた戦争で破壊されたが、再び政治的安定と平和的発展の道にたちかえって耐乏しうる経済生活を保障しかつ改善しなければならない。日本も同様な路線への復帰を許されるが、その回復は他の東アジア諸国に比べ最後になされるべきものだ。いいかえれば、日本を貧窮化させるつもりはないが、日本が再び近隣諸国を支配したり優越させるような経済生活の回復は許さない。従って、アメリカの政策は以下のようになる。 
(a)日本が再び世界平和への脅威にならぬよう日本産業を非武装化する 
(b)賠償請求権のある諸国に対し日本の産業設備を分配し、これら諸国の経済復興と東アジア全体の経済計画に役立たせる。近隣諸国の原材料を加工する上で決定的な重要性をもつ工程の設備はすべて日本から撤去する 
(c)食糧品など日本に許容された必需輸入品の決済に必要な最少量の輸出品を生産する産業は日本に残置する 
(d)日本国内の食糧生産および食品加工への転換と増産に力を入れる 
要するに、日本の賠償問題とは東アジア全体の経済的安定により政治的安定をも作り出すという問題であって、敗戦国日本から損害賠償として戦勝の分け前を取り立てることが主目的なのではない。アメリカにとっては、日本が支払いうる金銭・財貨・産業設備・サービス等の何物をもってしても、日本軍国主義の打破のために費やされた多くの人命を償うことはできない。従って、アメリカとしては東アジアの復興を目的とすべきだと考える。復興した東アジアの中に日本は存立を許されるが、もはや君臨し支配することは当然許されない。」

 ところが米国は従来の賠償方針をその後撤回し、連合国側に賠償の取り立てを中止させた。

(1)日本経済の収支の不均衡は近い将来に均衡化する見透しはない。もし均衡を達成せんとすれば、あらゆる物資を利用すべきである。 
(2)今後の賠償撤去の負担は、日本経済の自立と安定という占領目的を阻害する 
(3)略 
(4)日本は在外資産の没収および中間賠償前渡しによって日本はすでに相当多額の賠償支払いを実質的に行なっている。以上の結論に鑑み、アメリカ政府は1947 年4 月4 日の中間指令を取消し、この指令によって実行に移された賠償の前渡計画を停止するの已むなきに至った。また更に1947 年11 月6日の対日賠償の配分に関する提案を撤回するものである。 
(マッコイ声明(1949 年5 月))

 米国は冷戦の激化の中で日本を共産主義勢力進出の防壁と位置づけ、賠償より早期の経済復興を優先させた。ソ連、中国などの反対を退けたまま、1950年にすべての交戦国が賠償請求権を放棄することをうたった「対日講和七原則」を発表した。 
 このような無賠償主義に対してフィリピンなどの激しい反発もあったものの、1951年サンフランシスコ講和条約(*資料室へリンク)によって、日本は賠償を免れたまま独立国として国際社会に復帰することになった。

 

サンフランシスコ講和条約と賠償

 サンフランシスコ講和条約には米国を中心とした49カ国が署名したが、ソ連・ポーランド・インドが署名あるいは参加を拒否したほか、南北朝鮮と中国については講和会議に招請されなかった(*1)。 
賠償はサンフランシスコ講和条約の第14条(*2)で規定されている。その特徴について次のような指摘がある。 
①根本原則を規定しただけで賠償額を規定せず、具体的な内容は関係諸国と個別交渉による将来の相互協定に委ねた。 
②損害と苦痛への賠償原則よりも賠償支払い能力の限界が重視された。 
③植民地・半植民地の喪失、在外財産接収が実質的賠償として認められ、連合国の賠償請求権が大部分放棄された。 
④非調印国等に関しては賠償問題が未解決のまま残された。 
⑤支払い方法は役務賠償のみとし、「生産・沈没船引揚げ・その他の作業」と具体例をあげて技術・労力の提供によることを規定し、加工原材料も相手国が供給すべきこと(「加工役務賠償」)を定めた。 
(矢野久「賠償と補償」『岩波講座アジア・太平洋戦争8巻20世紀の中のアジア・太平洋戦争』(岩波書店、2006年))

*2 
第二十五条 
この条約の適用上,連合国とは,日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し,各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定を留保して,この条約は,ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても,いかなる権利,権原又は利益も与えるものではない。また,日本国のいかなる権利,権原又は利益も,この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され,又は害されるものとみなしてはならない。 

第二十六条 
日本国は,千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で,この条約の署名国でないものと,この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し,この日本国の義務は,この条約の最初の効力発生の後三年で満了する。日本国が,いずれかの国との間で,この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは,これと同一の利益は,この条約の当事国にも及ぼさなければならない。 

*2 
第14条 
(a) 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。 
 よつて、 
  1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。 
2〔中略〕 
(b)この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。 
第19条 
(a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。

 

二国間協定の締結と賠償

 フィリピンをはじめ日本占領下で被害を受けた東南アジア諸国は、賠償請求権放棄の条項に抵抗した。そのため同条約には、日本軍に占領され損害を受けた連合国が希望するときには役務や生産物によって補償する旨が加えられ、ビルマ・ベトナム・フィリピン・インドネシアの4カ国に対しては、後に賠償協定が結ばれた。 
 しかしこれらは「賠償」という名目であるものの本来なされるべきであった、戦争による被害の真相究明や違法性の判断などを経て決められたものではなかった。むしろ国内のインフラ整備など主に物品・役務提供の形態をとった経済協力であり、「賠償を実施することはそのまま日本の輸出につながる仕組み」という指摘があるほど日本側にとって有利なものであった(*)。

「賠償の支払いは、日本の生産物および日本人の役務サービスを相手国に供与するという形で行なわれる。つまり賠償は、賠償金という名の「現ナマ」を相手国に無条件で贈呈するのではなく、賠償を実施することはそのまま日本の輸出につながる仕組みになっていたのである。わかりやすくくだいていえば、日本政府が、相手国の希望をきいたうえで必要な資材を日本のメーカーや商社から買上げて、相手国に供与するものだといってよい。つまり日本のメーカーや商社からみれば、日本政府は賠償の名のもとに税金で自社の商品を買い付けてくれる最も安定した顧客を意味した。ここから賠償をめぐって政商的な暗躍が潜行し、「黒い霧」が立ちこめることにもなったのである」 
(西和夫『経済協力 政治大国日本への道』中公新書、1970年)

 一方で、連合国の捕虜とその家族については、日本の在外資産を清算し分配することで実質個人補償が認められる形が取られた。 
 講和条約調印の翌年、日本は中華民国(台湾)との間で日華平和条約を結んだが、請求権問題については「特別取極の主題とする」として先送りにした。しかしそれを解決しないまま、1972年、日中共同声明によって日本は中華人民共和国を中国の唯一の政府と承認し、国交正常化した。これにより日華平和条約は一方的に終了を宣せられた。中国は同声明で賠償請求権を放棄したため、日本はいずれの中国に対しても賠償を行っていない。

 

日韓請求権協定の締結

 韓国に対しては、1965年に日韓条約が結ばれ、無償供与3億ドル、有償供与2億ドルの経済協力が行われた。 
同条約では、1910年の韓国併合条約を「もはや(already)無効」と規定しているが、韓国併合が合法だったのか違法であったのかの解釈が日韓両政府間で対立している。当初韓国側が要求した賠償請求権を日本側が拒否し交渉は進まなかったが、経済成長を先行させる朴正熙政権は最終的に日本側が提示した経済協力案を受け入れた。 
 これに対し、韓国国内では激しい反対運動が繰り広げられた。 
 韓国政府は、1971年に「対日民間請求権申告法」を制定し、日本からの経済協力金の一部を使って、元日本軍軍人・軍属、あるいは労務者として徴用された者の遺族に対し、一時金を給付した。しかしその一時金は少額かつ対象者をかなり限定し、その告知も十分になされず、救済策としては大変不十分であった。 
なお北朝鮮については、2002年9月17日の日朝平壌宣言(資料室へリンク)にて経済協力方式が合意されたが、いまだ国交も正常化されておらず、賠償問題は未処理のままである。