
協和会会員証(協和会手帳)
概要
協和会会員証は1940年、中央協和会から45万部の会員証が発行され、府県協和会・支部を通じ 協和会会員証とは、戦時下の在日朝鮮人統制組織である中央協和会が、1940年から在日朝鮮人に配布した会員証のことである。通称「協和会手帳」とも呼ばれた。
当時、在日朝鮮人は就労・列車乗車中検査・帰国・食糧配給などのとき、必ず協和会会員証を提示しなければならなかった。協和会会員証は「朝鮮人特有の日本人と差別するための身分証明書となった」(樋口雄一)とされる。
特高警察を中心に組織された協和会は、在日朝鮮人から多くの怨嗟を集めた。そのため協和会会員証は戦後、在日朝鮮人から「抑圧の証」とみなされ、ほとんどが焼却や破棄された。
現存するものはわずかである。在日朝鮮人の歴史を知るうえで貴重な資料であり、後世のためにも保存が望まれる。
※協和会については協和会のページをご参照ください。
会員証の様式・記載事項
会員証には本人の顔写真が貼り付けられている。
また本籍、現住所、氏名などが記載され、本人確認の手段とした。
なお会員証には君が代、皇国臣民の誓詞、なども掲載されている。
※協和会会員証の各ページの様式・記載事項は、【写真資料】協和会会員証(協和会手帳)をご参照ください。
配布の仕方
協和会会員証は1940年、中央協和会から45万部の会員証が発行され、府県協和会・支部を通じて在日朝鮮人に配布されている。
対象者
協和会会員証は個人単位ではなく、正会員(世帯主)と準会員(世帯主に準じて働いているもの)に配布された。婦人、子供、世帯主でない無職者はその対象ではなかったとされる。 戦後の外国人登録証(*)が個人単位で公布され携帯を義務づけられていることから、協和会会員証も個人単位で登録・配布されたものと思われがちだが、注意が必要だ。
*2012年7月施行新入管法の在留カード・特別永住者証明書の元となったもの。
なお、朝鮮人学生、医師、教師、会社員などインテリ階層は所持義務の対象外とされた。
会員証を通じた統制・管理の方法
協和会会員証は世帯主などに配布される一方で、協和会各支部には会員証交付台帳が備え付けられ、会員管理の主な手法となっていた。
協和会会員証は当時、就労・列車乗車中の検査・朝鮮半島への帰国・食糧配給などのとき、必ず提示を求められた。協和会会員証を持たない者は雇用されないなどのペナルティをとられるだけでなく、強制連行労働からの逃亡者であるとの疑いをもたれ、取り締まりの対象とされた。
なお1941年3月の国民労務会員証法によって朝鮮人も労務会員証(*)を持つことになり、そのため朝鮮人は2冊の手帳を持たねばならなかった。
*労務手帳=労働者の移動防止や賃金統制を目的として、労働者に携帯を義務付けた会員証
戦後、ほとんどが廃棄
特高警察を中心に組織された協和会は、在日朝鮮人から多くの怨嗟を集めた。
そのため協和会会員証は戦後、在日朝鮮人から「抑圧の証」とみなされ、ほとんどが焼却や破棄された。
戦後の外国人登録証との関連
協和会会員証は日本敗戦後、協和会の解散とともに実効力を失うこととなった。
ところが1947年5月2日の外国人登録令によって、在日朝鮮人は新たに外国人登録制度のもと治安対象として管理されることとなる。当時の在日朝鮮人は外国人登録証を「協和会手帳」であるとして批判した。
参考文献
樋口雄一『協和会』(社会評論社)
樋口雄一『日本の韓国・朝鮮人』(同成社)