在日コリアン青年連合(KEY)

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民族教育

 

国際条約における民族教育権の保障

  日本がすでに批准している国際人権公約では、外国人・民族的マイノリティの民族教育権を明文で保障している。

 

○社会権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約) 
   第13条   
 1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。 
 2 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。 
 (a) 初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。 
 (b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。 
 (c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。 
 (d) 基礎教育は、初等教育を受けなかった者又はその全課程を修了しなかった者のため、できる限り奨励され又は強化されること。 
 (e) すべての段階にわたる学校制度の発展を積極的に追求し、適当な奨学金制度を設立し及び教育職員の物質的条件を不断に改善すること。 
  
○市民的及び政治的権利に対する国際規約(自由権規約・国際人権規約B規約) 
 第27条 種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。 
  
○子どもの権利条約 
 第8条(アイデンティティの保全) 
 1 締約国は、子どもが、不法な干渉なしに、法によって認められた国籍、名前および家族関係を含むそのアイデンティティを保全する権利を尊重することを約束する。 
 2 締約国は、子どもがそのアイデンティティの要素の一部または全部を違法に剥奪される場合には、迅速にそのアイデンティティを回復させるために適当な援助および保護を与える。 
 第29条(教育の目的) 
 1 締約国は、子どもの教育が次の目的で行われることに同意する。 
 (c)子どもの親、子ども自身の文化的アイデンティティ、言語および価値の尊重、子どもが居住している国および子どもの出身国の国民的価値の尊重、ならびに自己の文明と異なる文明の尊重を発展させること。 
 (d)すべての諸人民間、民族的、国民的および宗教的集団間ならびに先住民間の理解、平和、寛容、性の平等および友好の精神の下で、子どもが自由な社会において責任ある生活を送れるようにすること。 
 第30条(少数者・先住民の子どもの権利) 
 民族上、宗教上もしくは言語上の少数者、または先住民が存在する国においては、当該少数者または先住民に属する子どもは、自己の集団の他の構成員とともに、自己の文化を享受し、自己の宗教を信仰しかつ実践し、または自己の言語を使用する権利を否定されない。   

○人種差別撤廃条約 
 第2条 
 2 締約国は、事情が正当化する場合には、締約国に属する特定の人種的集団又は個人に人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を保障することを目的として、社会的、経済的、文化的その他の分野において、その集団又は個人の十分な発展及び保護を確保する特別のかつ具体的な措置をとる。ただし、これらの措置は、いかなる場合にも、その結果として、目的が達成された後、異なる人種的集団に対して不平等な又は別個の権利を維持させることになってはならない。 

  

朝鮮植民地支配解放と民族教育

 1945年8月15日、朝鮮は植民地統治から解放された。当時日本にいた朝鮮人は200万に達するといわれる。 
 戦前日本政府は、朝鮮人を戦時動員体制に組み込むために皇民化政策を実施し、教育から日常生活にわたるまで日本語や日本の文化を強要した。 
 自らの言語や文化を否定されてきた当時の朝鮮人は、解放後ただちに国語講習所を各地でつくり朝鮮語を教える取り組みを行った。これが現在まで続く、朝鮮学校の直接の起源である。 
 当時、故郷への帰還や民族教育を行うために朝鮮人は団結する必要に迫られ、在日本朝鮮人連盟(朝連)を結成した。GHQ財産持ち出し制限や祖国での生活難・政治情勢などから帰還の困難さが明らかになってきた1946年になると、民族教育と生活の問題が朝連の重点課題としてクローズアップされた。以後、朝連によって国語講習所は徐々に教員・教科書・校舎・学制などの体系を備えた学校へと体系立てられていく。 
 当時、朝鮮人は「金のある者は金で、力のある者は力で、知恵のあるものは知恵で」をスローガンにして、学校建設を積極的に行った。 
 民族学校の数は、1946年10月当時で初級学校525校(児童数4万2182人)、中学校4校(生徒数1180人)、青年学校10校(生徒数714人)に達したといわれる。 
 また1948年当時朝鮮学校は、初等学校566校・学生5万3000人、中等学校7校・学生3300人、青年学校33校・学生1800人が在籍していたという統計がある。

 

阪神教育闘争

○朝鮮人設立学校の取り扱いについて(1948年1月24日) 
 朝鮮学校に対する本格的な弾圧は、48年1月24日に出された文部省学校教育局長通達「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」によって開始された。通達は朝鮮人学童を日本人学校に「区別なく」就学させる反面、朝鮮学校には私立学校の認可を申請させて教育基本法に従わせるものであった。

   一、現在日本に在留する朝鮮人は昭和二一年一一月二〇日付総司令部発表により、日本の法令に服しなければならない。 
 従って、朝鮮人の子弟であっても学齢に該当する者は、日本人同様市町村立又は私立の小学校、又は中学校に就学させなければならない。又私立の小学校の設置は学校教育法の定めるところによって、都道府県監督庁(知事)の認可を受けなければならない。学齢児童又は学齢生徒の教育については各種学校の設置は認められない。 
 私立の小学校及び中学校には教育基本法第八条(政治教育)のみならず設置廃止、教科書、教科内容等については学校教育法における総則、ならびに小学校及び中学校に関する規定が適用される。なお、朝鮮語等の教育を課外に行うことは差し支えない。 
 二、学齢児童及び学齢生徒以外の者については各種学校の設置が認められ、学校教育法第八三条及び第四八条の規定が適用される。 
 三、前二項の趣意を実施する為、適切な措置を講ぜられたい。 
 (「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」1948年1月24日より)

 

 朝鮮学校側はこの通達を受け入れることはできず、激しく反発し、民族教育は朝鮮人の自主性に任せること、教育の特殊性を認めるなど要請した。①教育用語は朝鮮語、②教科書は朝鮮人教材編纂委員会がつくる、③学校の経営管理は学校の管理組合が行う、④日本語を正課とする、をもとに抗議した[*]。

  *(李月順「在日朝鮮人の民族教育」『在日朝鮮人 第二版』143頁)

 しかし日本政府は朝鮮学校閉鎖令を、山口(3月31日)、岡山(4月8日)、兵庫(4月10日)、大阪(4月12日)、東京(4月20日)に通告した。そのため在日朝鮮人は各地で抗議行動を展開した。 

○兵庫 
 兵庫県では4月24日、警官を動員した学校閉鎖の強制執行に抗議して、朝鮮人(と一部の日本人)およそ1万人が兵庫県庁に集結した。交渉団は知事室に入り、知事を取り囲んで学校閉鎖令の取り消しと検挙者の釈放を求めた。当時、武装したMPが抗議する人々にピストルを抜いたという証言がある[*1]。そのMPを交渉団は実力で阻止した[*2]。 
 結果、知事は学校閉鎖の撤回・借用校舎の明け渡し延期など5項目の要求文書に調印した[*3]。 
 しかし事態は同日深夜に急変する。神戸地区一帯に占領軍神戸憲兵隊名で非常事態宣言が発令された[*4]。当時日本全国の治安を統括していた米第8軍アイケルバーガーが直接現地で指揮を取り、逮捕状もなく1700名以上の朝鮮人が無差別に検挙した。うち136人が起訴され、中には重労働や国外退去を強いられた人もいた。 
 4月26日、アイケルバーガーは兵庫県知事室を視察し後、神戸基地司令官らをまじえて緊急会議を開いた[*5]。同会議でアイケルバーガーは、24日の交渉時に知事を解放できなかった2名の武装したMPをしっ責し、「任務の遂行中、肉体的危害を受けた時は、相手を射殺するべき」と言った[*6]。この会議の直後にアイケルバーガーは大阪へと急行した [*7]。後述するとおり、その日大阪では学校閉鎖に対する抗議集会が開かれ、金太一少年が銃殺されている。 
 4月30日、神戸市内の朝鮮学校は閉鎖をよぎなくされた。

 

*1 当時交渉団の一人で知事室にいたという梁相鎮氏(当時、在日本朝鮮民主青年同盟)の証言は以下の通り。

 「そのときにMPがこうやってピストルを出したので、「撃つなら撃ってみろ」と。 
 なんでこの、朝鮮語教育をするのを、やめいうのか、と。また日本語の教育を受けてみな。自分の国がまた、日本の植民地になるんやないか、と。」 
 ( NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送)


*2 NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送。 

*3 李月順「在日朝鮮人の民族教育」『在日朝鮮人 第二版』143頁。 

*4 李月順「在日朝鮮人の民族教育」『在日朝鮮人 第二版』143頁。 

*5

「アイケルバーガーは、緊急会議の席上、武装した2人の兵士が知事を解放できなかったことをしっ責。任務の遂行中、肉体的危害を受けた時は、相手を射殺するべきだとしています。」  ( NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送)


*6 NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送。 

*7 NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送。

 

 

○大阪 
  大阪府では1948年4月23日、代表団交渉と府庁前の大手前公園で抗議集会が開かれた。参加人数は2万とも4万ともいわれている。このとき動員された400名の警官隊は213名を検挙した[[李月順「在日朝鮮人の民族教育」『在日朝鮮人 第二版』143頁]]。 
 26日には再度大阪で開かれた抗議集会では、警察が弾圧のために放水を行い、同時に実弾を発砲している。結果、16歳の金太一少年[*1]が頭部を打たれ命を奪われた[*2]。アイケルバーガーの日記によれば、この日警官隊は20発の銃弾を発砲している[*3]。 
  これらの一連の事件は「阪神教育闘争」と呼ばれ、在日朝鮮人の戦後民族教育史を象徴的に語る言葉となっている。

*1

(金太一少年は)「貧しい母子家庭に育ち、タバコ売りをして家族をささえていた少年でした。」(NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送)

*2

李月順「在日朝鮮人の民族教育」『在日朝鮮人 第二版』143頁。 
*3

NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送。

 

 

○阪神教育闘争と朝鮮半島情勢 
  当時南朝鮮を軍事占領していた米軍は、南朝鮮単独選挙に反対する朝鮮半島の動きが日本国内に波及することを警戒していた。4.3事件[*1]の一週間後にあたる4月10日に米極東軍は在日朝鮮人が「朝鮮半島の大きな暴動と連携」することに警告を発している[*2][*3]。

 

*1

4.3事件とは、1948年4月3日に済州島で起きた、南朝鮮単独選挙に反対する民衆蜂起と、それに対して軍・警察・右翼集団などが行った、数年にわたる大規模な島民虐殺(死者は3万人ともいわれる)のことを指す。1948年4月当時、38度線を境に米ソによって分割占領されていた朝鮮半島では、米ソ共同委員会が決裂し、米国主導で進められた南朝鮮単独選挙を5月10日に控えていた時期だった。南朝鮮単独選挙は分断を促進させるとして、当時多くの朝鮮人が反対運動を行っていた。4.3事件によって、済州島では5月10日の単独選挙が唯一実施されなかった。 
*2

「朝鮮半島の大きな暴動と連携して在日コリアン、とくに大阪地区の異端分子は、アメリカ軍の占領統治を困難にするため、デモを行い、暴動を起こし、他の民衆争乱を助けるかもしれない。」(米極東軍文書より)(NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送)

*3

4月10日米極東軍警告後、アイケルバーガー日記に記されていた当時の心境は以下の通り。

 4月18日

 毎日、日本におけるわれわれの立場がどんどん深刻になっていることに気付く。ダイナマイトの樽の上に座っているような事態。

 4月21日

 危険なコリアンは56万人もいる。一方わが陸軍は多くの遠隔地に分散された4万5000人しかいない。

 (NHK「解放と分断 在日コリアンの戦後」『プロジェクトJAPAN』(シリーズ日本と朝鮮半島 第4回)、2010年7月25日放送)