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もやもやQ&A「在日コリアン」について(No.001)

Q.韓国で、「日本人ですか?」と聞かれた時(または日本で、「韓国人ですか?」と聞かれた時)、どうやって在日コリアンであることを説明すればいいでしょうか?

A. 韓国で「日本人ですか?」と聞かれたのは、日本語を話していたからでしょうか?私も韓国語(朝鮮語)が上手に話せませんので、日本人のように扱われ、悔しい思いをした経験があります。  しかし、日本語を母語として育ち、民族教育を受ける機会が少ないのが2世以降の在日コリアンの大半の現実ですから私はむしろその現実を知ってもらうことで、在日コリアンとしての自分を理解してもらう機会にしています。  日本で「韓国人ですか?」と聞かれるというのは、国籍や名前に対する反応でしょうか?ちょうどさっきとは逆で、韓国人なのに日本語お上手ですね」なんて言われたりしますよね。私は必ず、「祖父母が朝鮮半島から渡ってきたのです」という話をします。つまり歴史ですよね。ある民族がその民族性を証明するものとして、言語、文化、国籍、名前など様々な要素があると思いますが在日コリアンの場合、何よりも大切なものは「歴史」だと思います。日本語しか話せない、あるいはすでに日本国籍を取得していたり日本の名前で暮らしていても、植民地支配によって日本に渡ってきたという歴史が、私たちを在日コリアンたらしめているわけです。  という私も、日本の学校で、日本人に囲まれ、日本人のように育ってきた高校時代までは自分が何者であるかを説明することなど、できませんでした。まさに、在日コリアンであるとはどういうことか、説明できるようになりたくて、このKEYに来ました。KEYで多くの在日コリアンの友人ができたり、たくさんの本を読んだり、在日コリアンに関する様々なリアルな情報に触れることで、在日コリアンとは何か、自分なりに説明できるようになったと感じています。  実際には、在日コリアンを一言で説明することはとても難しいです。しかし、その「日本人ですか?」「韓国人ですか?」という問いに対して、「結局私は、どこに行ってもアウェイなんだ」と感じて閉じてしまうよりもどちらにも包摂されない存在としての積極的な生き方を考えていけたら面白いのではないでしょうか?(H・K/33才/女/大阪)

A. 在日コリアンでも考え方に違いがあるので、確定させた回答は難しいですが、私の場合は、朝鮮半島にルーツがあることを伝えます。私の場合ですが説明すると、祖父母が朝鮮半島生まれ、日本の植民地政策の影響で1940年代に仕事を求めて、日本に渡って来ました。その後、戦後も日本で暮らしていて両親も日本で生まれ育ちました。私も日本で生まれ住んでいます。なので日本に渡った祖父母を1世と数えると私は在日コリアン3世です。コリアンと使っているのは、朝鮮半島にルーツがあることを伝えるためです。朝鮮半島にルーツを持っていることは共通するところだと思います。自分のルーツについて人に伝えることは躊躇してしまいますね。自分だけで考えずに同じルーツを持つ人と一緒に考えられるといいですね。(30代/男/朴)

A. 説明、難しいですよね。この、「日本人ですか?」や「韓国人ですか?」という質問にふさわしい言葉が私には見当たらなくて、私はいつも、「うーん」とか「違います……。」としか答えられていません。「韓国人でも日本人でもありません。」、そのように言い切ると足りない、余白のようなものを埋める言葉を、私もさがしています。日本人か、韓国人かという線引きではくくれない存在としてあるということと、そのような歴史の上にある存在なんだということが説明できるといいのかな、と思います。(K・T/29/東京)

A. 〔韓国での場合に絞って答えます〕なかなか難しい問題ですよね…。私にも経験があります。  相談内容の場合の多くは、自己紹介の時でしょう。そもそも自己紹介というのは、時と場合や相手によって、社交辞令でごく簡単に済ませる時もあれば、やや長めに自分の来歴を語る機会まで、様々だと思います。なので、一概にいえないのですが、自分の経験に引き付けて、答えてみます。  社交辞令で済ます場合は、私の場合、「日本人ではありません、在日コリアン(재일교포在日僑胞)です」と言ってみます。もう少し足すなら「自分の祖父母が済州島出身で植民地時代に日本にやってきました」と言いますかね。  そういうと自分の経験上、相手が「ああー」という風に納得する場合が多かったです。「??」となる場合でも、場が適切でなければ、それ以上説明しないこともあります。  ただ、せっかく「納得」してくれたとしても、その仕方が、私たち在日コリアンの実情とかけ離れていたりするんですが…。話してみると皆さん、在日コリアンに対して、やれ「金持ちが多い」だとか、「みんな日本国籍を持っている」だとか(もちろんそういう人もそうでない人もいます)、「もう日本人と一緒じゃん」と思われていたりするようです(全員が全員そうではもちろんないですよ。中には「うちの親せきも実は日本にいるんだ」という人もいました)。  社交辞令で終わらせる場合は、ここで私はとどめますね。それは相手との関係が一時的なものでおわるだろう場合や、単に説明の時間がないという場合や、あるいは説明が面倒臭い場合や、相手に理解されないことに自分が傷つくのを避けたい場合もあります(私は韓国人に在日コリアンであることを理解されないと、やっぱり少し傷ついてしまう方です。これは何度か経験しても、慣れたはずだと思っていても、そうです)。  おそらく本当の問題は、社交辞令でなく、その先の、相手にちゃんと自分を理解してもらいたいとき、だと思います。これは相手によりますが、結構むずかしさを感じます。  経験から、あなたに伝えたい点は3つです。  1つ目は「理解されない場合も多いが、それは残念ながらよくあること」です。そういう経験をされた場合(その時傷つくこともあるでしょう)、決してあなただけではなく、他の多くの在日コリアンが経験していることを、忘れないでください(だからといって「仕方ない」といっているわけではりません。傷ついているのはあなただけではないということです)。  2つ目は「理解してもらうには時間がかかる」です。個々人によってもちろん違いますが、私の場合たとえ「在日コリアン」を理解してもらえなくとも、個人で友人になる、という場合は少なくありませんでした(ずっと私を日本人だと見なしていた方もいます)。考えてしまうと傷つきはしますが、しかし仲良い友人であることもまた事実でしょう。  3つ目は「ちゃんと理解してもらうには在日コリアンの歴史を知ってもらう必要がある」です。朝鮮民族の人口は7000万といわれますが、じつは1割の700万が朝鮮半島を世界に離散しています。植民地支配と冷戦という歴史的経緯のためです。米国と中国の200万の在米・在中コリアンも多いですが、日本にも100万から150万以上といわれる(正確な統計はありません)在日コリアンも多いグループです。しかし韓国では残念ながらその歴史や現状は公教育やメディアで十分に周知されていません(韓国ではかつて軍事独裁政権によって在外コリアンを北朝鮮のスパイなどという「でっちあげ」で投獄したり国内の治安弾圧に利用した過去がありましたが、これら事実は韓国政府にとって都合が悪いのです)。在日コリアンと自己紹介しても理解されないのは、そのためでもあります。  と、そんな歴史を知ってくれ、と相手に頼むのも、関係性によりますよね。長々歴史の話を書いたのは、韓国人個人の問題ではなく政府と社会の問題だ、ということを言いたかったがためです。  ただ(意外にも?)応えてくれる韓国の青年も何人かいました。思い切ってそういうのを話してみる、というのも選択肢の一つです。(R.Y/31/男/東京)

A. 私は本名(民族名)を使っている影響で、周りの日本人に“日本語上手ですね”“いつ日本に来たんですか?”とよく聞かれます。最近そのように聞かれると、「在日コリアンです。祖父母が朝鮮半島から渡り、私は日本で生まれました。」と答えるようにしています。日本人・韓国人共に在日コリアンという名称だけで理解を示してくれる人も増えてきた感じはしますが、未だにピンと来ない方も多いので、私が在日コリアンとして生まれた歴史的背景を伝えたら良いと思います。中には「なぜ貴方の祖父母は日本から来たの?」とさらに聞いてくる人もいるかも知れないので、これを機に祖父母、祖父母がいない人は両親に聞いてみてもいいんじゃないでしょうか。(31/女/兵庫)

A. 僕は在日コリアン3世です。祖父、祖母が戦時中に日本に渡ってきて、そのまま定住し、父親、母親が日本で生まれ育ち、結婚し、僕が生まれました。祖父、祖母は祖国が日本の植民地化になり、元々従事していた職を追われ、(植民地政策として行われた土地調査事業によって、土地を奪われ、農業に従事できなくなり)生活の糧を求めて日本にわたってきたと聞いています。僕みたいな在日コリアンは一般的にたくさんいると言われていますが、個々人様々な経緯で在日コリアンとして生まれてきているので、一度、両親や1世の祖先らに自分のルーツを聞いてみてもいいのではないでしょうか?(S.Y/34/男/大阪)

A.韓国で「日本人ですか?」と聞かれるときの文脈は、1)国籍、2)言語を尋ねる意味があると考えられます。 1)国籍の場合は、①日本の植民地支配期に日本へ渡っていった朝鮮人の祖先を持つこと(朝鮮半島をルーツ)を前提に、②国籍は韓国籍、もしくは朝鮮籍(旧植民地出身という意味での朝鮮)、帰化した場合は日本国籍を持つと答えられるでしょう。 また、2)言語に対しては、1)日本で生まれ育ったため、日本語がネイティブ(日本語が母語)、2)韓国語/朝鮮語は韓国系や朝鮮系の学校に通わない限り、日本での日常生活においては自然に韓国語/朝鮮語を修得する機会が無くなっているため、母国語でありながら外国語のように習う状況となっていると答えられると考えます。 昔は、韓国において海外同胞は植民地時代に移住された在日コリアンを意味することが多かったのですが、1970年代以降、アメリカへ移民した在米コリアンが急増し、今は在外橋胞、海外韓人という言葉を使い、もはや在米コリアンのように韓国の経済開発期において自己開発や経済的成功を目指して移住していった人々を思い浮かべることが多いようです。そのため、韓国で在日コリアンであることを説明するためには、やはり植民地時代に遡る歴史に触れる必要があるように考えられます。(J.H/30/女/大阪(or韓国))

A. 在日コリアン3世です。戦争時に植民地のために仕事がなかったおじいさん、おばあさんが仕事を求めに日本に渡ってきて、そのまま日本の地で子供を産み、そのまま日本に住みざるをえなかったのです。その子孫にあたるのが私です。なので在日とは日本に住居を構えるコリアンです。だから日本人でもなく韓国人でもない在日コリアンと言われる存在です。(みかん/30代/女/大阪)

A. 祖父母が朝鮮半島で生まれたので、自分のルーツは朝鮮半島にある一方で、日本で生まれ育ったので、日本語がネイティブで日本の文化に慣れ親しんでいる。自分の中には、二つの要素が切っても切れない関係で共存している。これは、韓国人とも日本人とも言い切れないことを意味しています。聞く人によれば、このような説明は、「中途半端」や「よくわからない」という印象を受けるかもしれません。でもそれはその人の視野が狭く、すべての人は「〜人」と呼べるという固定観念があるだけです。むしろ、どちらの文化の素晴らしさも自分の属性として発信できるし、反対にどちらかの国家が過ちを犯したときには、その社会の構成員の一人として批判できるのです。これは、今後世界に移民や混血がどんどん増えていく流れを考えれば、とても重要な役割を担うとも言えますし、日韓・日朝・南北の架け橋として、貢献できる可能性を持っているとも言えるのではないでしょうか。(L・M/28/男/兵庫)

A.歴史的な背景から説明するのも一つの手だと思います。私は、祖父が植民地時代に日本に来た在日1世の、その子孫です。母は日本で生まれた在日コリアン2世で父は日本人ですが、私が生まれたときは、父方の国籍を子どもが継ぐことになっていたので、私は日本国籍ですと説明します。日本人かと言われれば、出生地は日本ですが、ルーツは日本と韓国にありますと説明します。民族的アイデンティティを踏まえて説明するとしたら、きっと難しいかもしれませんね。日本人でも韓国人でもない、と思うのであれば、~~人っていうくくりで説明するのは難しいということを伝えてみてはいかがでしょうか?(M.O./30代後半/東京)

A. 説明する為には、自分自身が在日コリアンついての確かな認識がないと出来ません。在日コリアンという存在が生まれた時代背景や歴史、置かれている状況について知らないと、十分な説明は出来ないでしょう。その為には在日コリアンというものを見つめ直してみるべきです。その歴史を本を読んで調べるのもいいし、身近な家族(両親や祖父母)の歩みを訊いてみるとか、はたまた同世代の在日に話を聞いてみてはどうでしょうか?そして自分は「在日コリアン」をどう捉えるか、自身とつなげて考えてみると良いと思います。(c.h/32/男/大阪)

A. 在日コリアン個々によってそれぞれのルーツがあるので、ありのままを答えればいいかと思います。もし、自分でルーツを知らなかったり、うまく説明できないのなら父や母、おじいちゃんやおばあちゃんに聞いてみるのが一番よいでしょう。私の場合は、ひいおじいちゃんが戦時中に働き口を求め日本に来て、そのまま戦後も朝鮮半島に帰ることなく、日本で暮らすようになり、私のような存在が生まれたと答えます。もちろん、こんなことでは語り尽くせないほどその裏にある事情や時代背景があります。答える相手や場面にもよりますが、正直そんなに長々と説明できるとは思いません。また、端的に説明できるものでもなく、逆に端的に説明すれば生まれる誤解もあるかと思います。今は便利な世の中です。在日コリアンを知りたきゃググってくれと言っていいと思います。問題は、あなた自身がきちんと在日コリアンや自身のルーツを知って理解しているかどうかです。説明せずとも説明はできなければいけないと思います。(W・H/32/男/大阪)


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