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もやもやQ&A 「ヘイトスピーチ」について(No.004)

Q.在日コリアンに対するヘイトスピーチや、インターネットの差別的書き込みをよく目にします。周りの日本人の友達の誰かが、そのように思っていないか、という疑いを持ってしまい不安です。どうしたらいいのでしょうか?(No.004)

A. 私なら自分が在日コリアンだと知っている友達には率直に聞きます。こういうヘイトスピーチやネットでの差別的な書き込みに対してどう思っているのか?するとほとんどがそういう風に思ってる友達はいないです。ですが疑いをもっている友達ももしかしたらいるかもしれないので、そんなときのために在日コリアンがなぜ日本にいるのかや、税金なども日本人と同じように払っていることや、選挙権がないことなどを話します。また、日本人と同じやん!と言われることも多いので、その時は日本人と同じではない面(たとえば文化=法事や選挙権のことについてなど)を話して、同じではないことも伝えることが多いです。答えになっているかわかりませんが。やはり自分を伝えることが一番の誤解をうまない方法だと思います。【みかん/30代/女/大阪】

A. これだけメディアでヘイトスピーチが流されていれば、残念ながら、そのような考え方にはまっている友達も少なからずいるのではないかと思います。でも、どう思われているのかについて不安になるよりむしろ、そういった考えが表れ出たときにきちんと批判できる自分であれるかどうかについて考えてみるほうが大事だと思います。それは自分に対するヘイトスピーチであっても、そうでなくても。  ヘイトスピーチの多くが、歴史が絡んでいる問題ですから、まずは歴史について、インターネットだけではなく、様々な本を読んで学んでみることが大切だと思います。また、学生時代は友達関係がとても重要ですから、いざ仲の良い友達からそのような発言が出たらやはりショックだと思います。そのような時には、どうか自分を卑下してしまったり、ふさぎこんでしまわずに、誰かに相談してみましょう。学校の先生や、同じ在日コリアンの立場の人がいいかもしれません。KEYも、在日コリアン青年の為の相談事業を行っていますので、ぜひご相談ください。(H・K,33 才,女,大阪)

A. もし、その友達を大切にしたい、長く、深く付き合いたいのであれば、気持ちを率直に伝えることが大切だと思います。どうして差別的な書き込みが多いのか、歴史や社会状況を勉強すれば、客観的に見えてきて、気持ちは少し楽になるはずです。(S.Y/34/男/大阪)

A. 私もまた、この不安にかなり悩まされました。普段は気にならないちょっとした冗談でも、もしかしたら在日コリアンであることを蔑視しているのではないか、などと被害妄想のようになったり、日本が好きだということを述べるだけで、極右かもしれないという妄想が働いてしまったりしていました。たしかに、悪気のない無知ゆえの不適切な言葉づかいや言動は、日本社会に多いのは事実です。しかし、それらすべてをネトウヨと同様に受け止めていては、身が持たないし、信頼関係も築けません。私は、疑いを持ってしまったとき、友達に直接、在日コリアンのことをどう思っているのか、韓国や朝鮮に偏見がないのか、ということを正面から尋ねたことがあります。勇気が要りました。しかし、疑いを持ってしまった以上、そのまま付き合うのは嫌だったので聞いたのです。そのとき友達は、「考え過ぎだ」と言いましたが、同時に、疑ってしまうのも仕方ないくらいヘイトスピーチやネットの書込みが酷いこと、さらに自分(友達)はそんな偏見は持った事がない、ということを丁寧に説明してくれました。そのおかげで、安心してこれまでどおりの親友の関係に戻りました。かといって、彼が植民地支配のこと、戦争責任のことを正確に理解しているわけではありません。だからこそ、私たちが差別の言説に対抗できるだけの知識が必要ですし、「誰しもが差別される理由などない」と胸をはって生きる信念が必要だと思います。それを養うためには、理解のある日本人だけでなく、同じルーツを持った在日コリアンとのつながりやコミュニティ/学びの場は本当に大切だと思います。(L・M/28/男)

A. 私もそのような不安な気持ちになったことあります。なんですが、なぜ不安になるのでしょうか?冷静に考えると、ヘイトスピーチをする人の主張や考えって正しくないことが分かります。暴力的であるし、彼らが主張する「在日特権」の矛盾についても在日コリアンKEY ワードで調べることができます。それなのに私たちは、大勢の人間がデモを成してヘイトスピーチをすることを威圧的に受け止め、周りもそれに共感しているのではないかと不安になったりするんじゃないかと思います。大勢が主張するからといって、それが正しいとは限りません。まずはヘイトスピーチの内容を鵜呑みにせず、自分の中で「それは違う!」という信念を持つことが大切です。安田浩一氏や師岡康子氏の本などがお勧めなので一度読んでみて下さい。先ほど挙げた在日コリアンKEY ワードも宣伝します笑。それらを通じてヘイトスピーチの矛盾に気づけたら、友人がヘイトスピーチ的な考えを言ってきても不安にならずに、「間違ったこと言ってるわあ」と受け止め、意見を返すことができると思います。さらに言い返してくるようであれば、その時は「これ以上言っても“今は”伝わらない」と流してあげましょうね。友人には冷静に対応するのが一番です。(31/女/兵庫)

A. できそうだったら、私の場合、それとなく話題をふってみます。それで友達の反応をみてしまうかも……。ずるいかもしれません。でもそれより、疑いをもちながら生活せざるをえない状況に何がさせているのかを私は考えたいです。そのことを考えたときに、やっぱり不安になったり、疑いをもってしまうのはありうることだと思います。傷つくだろうし、そんなふうに人を疑う自分って一体……という気持ちにもなると思います。心が強く持てるなら、向かい合って友達とヘイトスピーチ対して話し合うのも良いと思いますし、そのような勇気がなければ(私はなくても良いと思います。差別を受けて傷ついている側が頑張らなければいけないのって、しんどい構造だと思うから)それとなくふってみる、かなあと思います。(K・T/29/東京)

A. 周りでそういった話題になったわけでもなく、直接差別的発言を受けたわけでもないのに、何故不安を感じてしまうのか?その不安の理由から考えてみましょう。それはきっとそういったヘイトや差別的発言が、自分のごく身近にまで及んでおり、少し周りを見渡せばすぐに目や耳に入ってくる現在の状況を写しているのだと思います。その声があまりに騒がしいため、何も悪くない謂れのないはずの自分自身まで飲み込まれてしまい、周囲や自分自身に対してまでも疑心暗鬼にに陥り、不安となっているのだと思います。その不安をどうやって解消すべきか?おそらくその不安から目をそらしてはいつまでたっても消えないでしょう。ですからその不安を見つめ、立ち向かい克服するしかありません。立ち向かうと言っても、ヘイトに対して直接的なカウンター行動を起こさなければならない、差別する人たちと直接対峙して打ち負かしてしまわなければならないというわけではありません。そういった差別感情はどこからくるのか、そういう人たちの心情や思考はどういうものか、想像してみることが大切だと思います。そこに至る回路や根拠をつきとめ理解してこそ、不安から自分自身を開放する手だてになるとおもいます。(c.h/32/男/大阪)

A. ヘイトスピーチやネット上での差別的書き込みは、不特定の在日コリアンを対象に行われている悪質な行為であります。不特定でありますので、当事者側が傷付いていることを、当事者でない方は十分理解していないかもしれません。ふっと思わずに差別的言葉をいう人もいますし、ネット上で書き込む人もいます。むしろ、何も言わないけど、実は在日コリアンに対する嫌悪を持っている人がいるかも知れません。そのため、周りの日本人と付き合う中で、人々に対する疑いを感じることは当然あるでしょうし、差別的な書き込みや行動がなくならない限り、感じ続けていくようになるかも知れません。そのような社会における疎外感こそが、ヘイトスピーチやネット上での差別的書き込みが生んでいる悪効果かなと感じます。だからこそ、同じ立場の人々が集まり、お互いに慰め合い、勇気を付け合い、悩みを分け合う必要があると言えます。日本の様々な差別に一人で立ち向かうことはとても孤独でしょうし、むしろ避けたくなると思います。しかし、そのような状況が続きますと、人に疑いを持つことに終わりはないはずです。仲間を作り、助け合うことは、複雑なこの世の中で信じられる人ができること、不安を無くすことにつながるでしょう。(J.H/30/女/大阪(or 韓国)

A. 不安だと思います。その可能性はゼロだとは言えないですよね…。私も仲の良い友人と喧嘩したとき「朝鮮へ帰れ」といわれて大きく傷ついたことがあります。仲が良くなんだかんだいって信頼していただけに、ショックでした。もちろん、そうでない可能性も十分にありますが。  さて、どうしたらいいのか、ということですが、「これをやればOK」という答えはたぶん、ないと思います。というのも、もしそんな解決策があれば誰かとっくに実践しているでしょうし、ここにあなたは相談していないでしょう。  ところで、あなたには在日コリアンの、信頼できる友人・知人がいますか?  (いえ、居ても、居なくても、いいのです。在日の知人が居ない在日のほうが大多数なのです。在日コリアンは日本社会のなかでバラバラに生きているので。そして在日の知人が居ない場合でも、それをつくらねばならないということでは全くありません。)  もし居れば、同じ境遇の在日コリアンの友人・知人に話を聞いてみるのも手です。  もし居なければ、KEY はじめ民族団体・ネットワークなどにアクセスしてみるのも手です(最初はちょっと怖いかもしれませんが、ヘイトスピーチの問題で悩んでいるということであれば話は聞いてくれるはずです)。  在日であれば周りの日本人の友人が差別的思想を持っているのでは?という不安を多かれ少なかれ持っているといってよいです。同じ在日がどう感じていて、どう対処しているのか、話してみるだけで気が楽になったりするものです(「ヘイトで相談に来ました」というのが照れくさければ、飲み会などに何かのきっかけでまぎれて参加して友達をみつけてみましょう。世間話をするだけでも緊張がほぐれることもあるかもしれません)。  また、私からは「勇気をもって信頼できる日本人の友人への相談をしてみたら」とはいいません。気軽に相談できるのであれば、ここに相談に来られていないでしょうし、周りの日本人の友人に相談することがかえってその友人が偏見をもっていることがわかる契機になり、傷つく可能性もゼロではないからです。もしやるなら、傷つく可能性も覚悟して行ったらよいと思います(場合によっては、相手方の在日コリアンへの理解が深い場合など、親身になってくれる場合もあるでしょう)。  あと、(ちょっとしんどいかもしれませんが)ヘイトスピーチのデタラメをきちんと「おかしい」と言えるように学ぶこと(すでに十分学ばれているなら蛇足ですが)は有効です。これは「知識」というよりは、日常で差別を経験する在日青年が現代を生き延びるための「知恵」というべきものです。もちろん、「知恵」だけでは確かに周囲はかわりません。しかし自分は変えられます。ネットでのヘイトスピーチの大半は朝鮮近現代史に関係するものですが、「ヘイトのデタラメはわかってもそれに関連する歴史問題についてはよくわからない」という在日青年が大半です。在日コリアンや東アジアの歴史や差別問題について学ぶことは、差別がなぜなくならないのかの理由を教えてくれますし、そういう「生きる知恵」は自分や周りを助けてくれるでしょう。(R.Y/31/男/東京)

A. 名前とは本来、その人を表す記号にしかすぎないものだと思います。どんな響きでもあなたが本名だと思えるのならそれが本名だと思います。問題は今の名前を本名と思えるかどうかです。恐らく、ご両親はハングル読みを意図せず名前を付けたと推察されますが、その意味も含めつつ、あなたが自分の名前にどんな意味を込めるのかが大切だと思います。ちなみに私の名前も同じケースです。そして私は一般的にない響きの民族名を選んで名乗っています。しかしながら、それが本名かと問われればそれは分かりません。あくまで選んでいるという感覚です。もちろん、そこに意味を込めているからです。在日コリアンの名前は様々なケースが存在します。そしてどれも正解はないと思います。自分自身の中に意味を見出せたらそれが答えではないでしょうか。(W・H/32/男/大阪)

A. 自分の存在意義を否定されるようなことを言われると、悲しくなりますよね。でも、友達関係は続けたいし、でも、自分もその友達に対しても、信頼できなくなっちゃったり、なんで自分ばかりが不安に思わなければならないのかと、しんどい思いになっているのかもしれないと思うと、そのつらい心情に心が痛みます。私も、「あんな差別発言ひどいよね」という友人がいますが、本人は悪気はなくても、ちょっとした差別的な言動があったりすると、ショックだったりします。私は、ある程度の長い付き合いのある友人に対しては、そのことについて話題に出して、話したりしています。相手がどのように考えているのかわかるし、大抵は次に話をするときに自分が差別的な発言をしていないかどうか、気にしてくれているみたいで、ナイーブなことについては、一言前置きをつけてくれるようになりました。ちょっと遠い関係の人に対しては、ヘイトスピーチやネットの書き込みははっきり言って事実ではないことばかりなので、そのような事実はないんですよ、と説明したりしています。でも、こうやって話せるのは、今、自分の周りには仲間がいるからかもしれません。一人でも、自分のことを理解してくれる人がいる、と思うと少し不安が軽くなるかもしれません。(M.O./30 代後半/東京)

A. 自分の存在意義を否定されるようなことを言われると、悲しくなりますよね。でも、友達関係は続けたいし、でも、自分もその友達に対しても、信頼できなくなっちゃったり、なんで自分ばかりが不安に思わなければならないのかと、しんどい思いになっているのかもしれないと思うと、そのつらい心情に心が痛みます。私も、「あんな差別発言ひどいよね」という友人がいますが、本人は悪気はなくても、ちょっとした差別的な言動があったりすると、ショックだったりします。私は、ある程度の長い付き合いのある友人に対しては、そのことについて話題に出して、話したりしています。相手がどのように考えているのかわかるし、大抵は次に話をするときに自分が差別的な発言をしていないかどうか、気にしてくれているみたいで、ナイーブなことについては、一言前置きをつけてくれるようになりました。ちょっと遠い関係の人に対しては、ヘイトスピーチやネットの書き込みははっきり言って事実ではないことばかりなので、そのような事実はないんですよ、と説明したりしています。でも、こうやって話せるのは、今、自分の周りには仲間がいるからかもしれません。一人でも、自分のことを理解してくれる人がいる、と思うと少し不安が軽くなるかもしれません。(M.O./30 代後半/東京)


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